言いだしっぺの裏話。 ~走るマイケルジャクソンの誕生~
「元気配信」のはじまりには、いろんな、いろんな葛藤がありました。
2011年に起きた東日本大震災直後の、あの自粛ムード。
被災地から遠く離れた東京で、あらゆる活動を自粛することが本当に被災地のためになるのか、疑問に思った人はたくさんいたはずです。
でも、何をしたらいいか、誰もわかりませんでした。
金があるやつは金を出せ。
知恵があるやつは知恵を出せ。
何もないやつは元気出せ。
ラジオから流れたこの言葉、まったくその通りだと思いました。
2011/3/19、僕はラン仲間を誘って皇居10周50kmを走りました。
胸と背中に「元気発進」と書きました。
僕にはお金も知恵も何もないから、元気を出すことを宣言するためでした。
しかし、意を決して出かけた皇居は、東京は・・・。
土曜日とは思えない、人っ子一人いない静けさ。
宣言を伝える相手すらいない。
こんなんじゃいけないと感じました。
そして2011/4/3。
青梅高水山トレイルラン大会で、大好きなマイケルジャクソン「ビリージーン」の衣装で30kの部に出場することを決意しました。
もしマイケルジャクソンが生きていたら、世界中から有名アーティストを集めて、絶対 We Are The World のようなことをまたやってくれてたよ!
だからオレがマイケルジャクソンになる!
前の晩は、すごく悩みました。
こんな時期にマラソン大会。しかも仮装。
何考えてんだ!というお叱りの声もあったかもしれませんが・・・
決して、ただ浮かれてるだけじゃない。
目立って、そこにメッセージがあれば、それを見て感じてくれる人が増えて発信源になるはず。
こういう機会にこそ元気な人が元気を出さなきゃ!
僕の姿を見て、元気を出してくれる人が増えるかもしれない。
そんな想いでした。
でもそれを誰かに説明する機会も手段もない。
ブログもツイッターも何もやっていない。
今どき珍しいほどアナログ人間だった僕は、ただの浮かれぽんちだと思われちゃうかなぁ・・・と、心配で仕方がありませんでした。
大会当日は、多くの人が「それいいね!」と声をかけてくれました。
みんな、何かしたかったんだと思います。
苦渋の決断で大会を中止し、その資材を被災地へ提供した大会も多数ありました。
いち早く開催を決めたKFCの判断もすばらしかったと思います。
何でも「動く」って大変なことなんです。
もともとは「元気発進」でした。
2011/4/3 青梅高水山トレイルラン。スタッフや選手多くの方々に声をかけていただきました。
2011/4/29 チャレンジ富士五湖112k。
Heal the world、世界を癒そう。
2011/3/11、日本は大ケガを負いました。
ケガを治すには、安静にして様子を見てるだけじゃダメだろう。
薬をつけるだけでもダメなんだよ。
ケガを回復させるためには、たくさん食べて、栄養をつけて
きれいな栄養満点の血液を身体中に流して
細胞から元気にしないとなかなか治らないんだよ。
僕の兄がこう言っていました。
なるほどと思いました。
自粛しているだけじゃダメなんです。
一時的に、義援金などのお金を渡すだけじゃダメなんです。
気力やチカラが湧いてくるような生活を取り戻すのが本当の回復じゃないか。
そう思うようになりました。
初期段階の手当てはもちろん大切です。
でもこれからは一時的な手当ではなく、みんなが力を出し合って、疲弊した細胞を回復させる。そんな段階に入ってくるんだなと思いました。
それには何が必要なのか、自分たちに何ができるかを考える段階に・・・。
元気を出そう。
みんなで元気を出し合おう。
元気を、気持ちを、みんなに伝えよう。
でも、僕も毎日マイケルジャクソンにはなれません(笑)
そこで、あの日の想いを込めた魔法の応援グッズを作りました。
この応援グッズを見て、マイケルジャクソンの魔法を思い出してもらいたい。
そしてぜひこの応援グッズを着けて、あなたの元気をお裾分けしてもらえたらと思っています。
まずは自分が元気になること。
それから、周りに元気を配信すること。
「元気を出す=がんばる」ではないんです。
がんばらない。
ムリしない。
さからわない。
僕のマラソンの師匠、小松氏の座右の銘です。
僕は走って、自分の足でコツコツがんばり過ぎない小さな「元気」を配信していくつもりです。
走るマイケルジャクソン
上原 良文
2014/5/18 に開催された鯖街道ウルトラマラソン。
小松師匠が元気配信、見事完走です。